
先人たちの心を次世代に伝えていきたい
太閤の道と風の会
会長 金田 榮さん
湖南町三代にお住まいの金田榮さんの自宅のすぐ目の前に、白河・会津街道が通っています。
白河・会津街道は、豊臣秀吉による奥羽仕置に際して、伊達政宗が白河から会津までの工事を担当し、道や宿駅が整備されたとされています。この時に伊達政宗に作らせた幅三間( 5 . 4 m)の道が今も残っており、「太閤の道」と呼ばれています。秀吉が湖南町三代と長沼町を結ぶ勢至堂峠を越えて、湖南に入り一泊したとの記録が残っているそうです。
金田さんは、幼い頃から三代に伝わるこうした歴史の話を聞いて育ち、いつしか、自ら地域に伝わる歴史を研究、保存する活動を始めていました。現在、「太閤の道と風の会」を主宰し、また、昨年創立 50 周年を迎えた「湖南町史談会」の事務局長も務めています。
「この白河・会津街道は、令和元年に、文化庁『歴史の道百選』に追加選定されました。その後、令和 4 年には、白河・会津街道のうち『太閤道 勢至堂峠』が、日本山岳会の山岳古道 120 選に選ばれたんですよ」と金田さん。さらに、今年 2 月、湖南町三代の「白河・会津街道(太閤道 勢至堂峠)」が、郡山市指定史跡に指定されたことも、大きく報じられました。

「太閤の道と風の会」では、一里塚や道標の修理、補強、太閤の道の草刈りなどの整備作業を行うほか、「太閤の道と宿駅を訪ねる」等の資料の整理とガイドブック作成などを行っています。
「豊臣秀吉が通り、伊能忠敬が測量し、明治維新前後では、吉田松陰脱藩の道であり、土方歳三と白虎隊士が湖南町の宿所で合議を開き……などなど、歴史を彩った面々が歩いたこの道。先人の汗が染み込んだ道、ながめた風景、その山々と野が今も残っています。それらを、皆さんに知っていただきたい」。
金田さんは、歴史を研究し保存活動を行うことで、その時代を生きた先人たちの心を、次世代の人たちに伝えたい、と熱く語ってくれました。

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