EXPO 2025 大阪・関西万博。行きたいと思いながらも、私は足を運ぶことができませんでした。
そんな中、通期パスを購入し 25 回も通った強者 I さん(大阪在住)のお話を紹介します。
万博会場内で働くアラブ系の方々が口を揃えて自国より暑いと言わせる大阪に、7 月の 3 連休を使って郡山から両親が来阪した。もちろんメインは 50 年ぶりに大阪で開催している万博である。
私は閉幕までの間に 25 回通ったいわゆる万博ヲタク。パビリオンはもちろん、トイレからお土産まで地図が頭の中にインプットしてある。むしろ両親に最大に楽しんでもらうために、下調べと称して通期パスを買って通っていた。
入場は朝 9 時西ゲートと言えば万博通なら正解と言わんばかりにウンウンと頷いてくれる。
私の家族と両親合わせて 6 人分のおにぎりや食料、飲み物に保冷剤を背負って会場前で入場まで待った。
気分は登山家の歩荷である。


入場と同時に目玉の一つであるイタリアに並びつつ、当日の予約を取りながらと、予定通りに事は進んでいた。
会場内を歩くたびに父は、いなくなってはビール片手に合流したり、いなくなったりを繰り返していた。誰かに合わすのが苦手な父は、もはやそれが当たり前と思って誰も気に留めなかった。
「携帯充電させてくれ。」
この一言が悲劇の始まりだった。
夕方に差し掛かりまだ暑く、そろそろ次のパビリオンに並ぼう。そんな時、父に電話をかけた。
30、40 分何回かけても繋がらない。
ふと母のリュックを見るとそこには充電器に刺さったままの父の携帯が。
ミイラ取りがミイラになる。
母や子供達を涼しい場所に待機させて、僕だけが探しに戻った。
17 万人以上の来場者の中から 1 人を見つけるなんてあり得るはずもなく、まさか父が迷子になるなんて想定してないので、どうしたらいいのか分からなかった。

とりあえず妻の助言もあり、ダメ元で迷子センターへ向かった。
「迷子を探してます。」
小走りで探して息が上がってる私が言うと、担当のお姉さんが
「警察出動させますか!?」
そう聞かれた。
流石にそこまででは無いので、見つかれば私に連絡をくださいと伝え、特徴やはぐれた場所などを説明していった。
「白のシャツにハンチングをかぶっていて黒のパンツに茶色い靴で…」
お姉さんは色々聞いてくれた。
「身長は?」
「 180 ちょっとあります。」
「 180!?」
お姉さんの声がセンターに響いた。
えっと、、何故か困惑するお姉さん。
「失礼ですがご年齢は。」
「 58 ですね。」
「 58!? 失礼しました。てっきり息子さんだとばかり。」
お姉さんは勘違えていた。
実際は息子が父を探しているのである。

アンジャッシュの様な掛け合いの後に、しばらくして電話がかかってきた。
「東ゲートの方でお待ちです」と。
早速半泣きの父を迎えに行った。係のお姉さんも再会を喜んでくれた。さぞかし落ち込んでいたのだろう。お姉さんの顔を見ればそれが分かった。
ようやく合流したが、孫たちはずっとニヤニヤしている。それはそうだ。まさか自分らでは無く、じぃじが迷子になっているのだから。
「じぃじ大丈夫?」
4 歳の息子と 8 歳の娘が半笑いで尋ねる。
触れられて欲しくないが、自分が悪いじぃじはバツが悪そうだ。
結局予定してた夜のスケジュールは全部無しになってしまった。
悔しい思いと疲れとある程度は回れた安心感と、様々なおもいが交錯して帰路についた。

翌日、僕らに見送られて両親は新幹線で郡山へ帰って行った。
たくさんの出会いや気付き、経験ができた万博も惜しまれながらも閉幕した。
未だに子供達はじぃじと電話をする度に、
「迷子になって無い?大丈夫?」
そうやってイジるのである。

次は 50 年後に、再び日本で開催されるのだろうか?
もし行く事があれば、迷子にだけは気をつけようと思うのである。