投稿日時: 2012-06-13 09:27:40

■田村神社 (田村町山中字本郷135)
●創建は大同年間(西暦806年〜810年)だと言いますから平安時代の初めです。
大変に歴史が古く坂上田村麻呂が東夷征伐の際に鎮守山泰平寺を建立したのが開祖と言われます。長い間、東北を代表する古刹として人々の信仰の拠所となり、明治になり神仏分離令により現在の田村神社になりました。御本尊は大元師明王像です。
●中でも現存する厨子は安土桃山時代の作で古く、その他にも鳥居派の浮世絵師によって描かれた絵馬や蒔絵などが奉納されています。
●元禄2年4月29日には松尾芭蕉が曾良と共に参拝した記述が『曾良旅日記』の中にあります。「先大明王ヘ参詣。裏門ヨリ本実坊ヘ寄、・・・・(数々の宝物を見学した後で)
・・・・探幽ガ大元明王ヲ拝ム。」
●息を切らして急な階段を登り、仁王門を抜け境内に入ると、気分は元禄、安土桃山を通りぬけ平安時代まで遡ります。


投稿日時: 2012-06-13 09:26:26

■林業 佐久間肇(さくまはじめ)さん S6.3.20生(81歳)
郡山市湖南町中野字向町2720 ☎024−982−2526

●佐久間さんは今年2月に、H15年から9年間務めた郡山市森林組合代表理事組合長を退任されました。岩瀬農業高校卒業以来、黙々と務めた山仕事にまた専念できると目を輝かせます。
●建材で使われる木材は植林をしてから、約50年でやっと製材されます。本当はあと20〜80年手入れをすると節目の少ない美しい材木になるのだそうです。
●生産されるのは60%が杉の木、後は松や桧などです。
東南アジアのラワン、ソ連や北米からのから松のように、激減した輸入木材に変わる木材の手当てが急務だと言います。
●しかし、福島県の木材は放射能の風評被害で敬遠され、在庫がだぶつきがちなのだそうです。仮に被ばくをした木でも製材の時点で樹皮を剥くので、今の時点で放射能は検出されません。現在、郡山の材木は安全です、と声を大にします。
●福島県の55%は山林です。この恵まれた環境を保全するのが林業の大きな仕事です。
「自然を愛する気持ちがながったら、こんな大変な仕事なんかやってられないよ。人も自然の一部分なんだろう?・・」
●国の補助「緑の雇用」制度を利用して、後継者の育成にも力を入れる佐久間さんです。


投稿日時: 2012-04-10 17:46:25

■花農家 吉田元治さん S35.1.13生(52歳)
郡山市三穂田町川田字北4 ☎024−945−3099
●吉田家は歴代の農家ですが、元司さんは農業を始めて約14年、それまでは農協の職員でした。米作を中心に10年前から花の栽培を始めました。
●1年で花の四大出荷時期は正月とお盆、春秋の彼岸です。春夏秋冬と切れ目がありません。現在は食用菜花(なばな)の出荷を終え、スプレーストックの収穫時期、合わせて8月に出荷するトルコギキョウの種植え時です。―3月2日時点―
●花の栽培は会津が有名ですが、それは昼と夜の寒暖の差が大きいほど、花の色づきが良いからなのだそうです。会津に負けじと花の栽培に丹精込める吉田さんです。
●吉田さんは『ドラマチックわくわくアグリダイアリー』というブログで農業人としての情報を発信しています。YAHOOの検索では、上記のタイトルでヒットします。


投稿日時: 2012-04-10 17:44:01

■諏訪三郎文学碑  郡山市湖南町赤津
●諏訪三郎は、明治29年12月3日生れの小説家で、代表作に「家」「大地の朝」などがあります。本名は半澤成二ですが、ペンネームは故郷赤津で子供の頃に遊んだ、生家近くの諏訪神社からとりました。
●半澤家は赤津の大地主でしたが、父親が政治に深入りをして没落をしました。そのため諏訪三郎は小学校を卒業して14歳の時に家族とともに上京、その後苦学の上「中央公論」の編集者となりました。
●太平洋戦争時には疎開のために故郷に帰り、終戦後も4年間湖南で暮らしました。その生活は経済的にはあまり恵まれませんでしたが、福良文化協会を設立させ自らはその顧問となり湖南の文化運動に離村するまで尽しました。
●諏訪神社は、秋山浜の近くの小高い林にあり、境内に文学碑があります。


投稿日時: 2012-03-05 16:36:35

■清水池公園の今泉久次郎胸像  郡山市逢瀬町多田野字清水池
●浄土松公園の近くに「清水池」という小さな池があります。周囲を小公園に整備されたこの池は、実は郡山市の水道発祥の地なのです。
●明治45年に安積疏水による近代水道が完成する以前の郡山の水源として、明治23年にこの場所から11?の木管を繋ぎ合せて水を引き、市街地への給水が開始されました。
●池のほとりに、今泉久次郎の胸像が建てられています。この方は明治22年に郡山が村から町に昇格した際の初代町長でした。この町長の情熱あふれる努力と毎日200名の人々が2年の歳月を費やした労働力が多田野水道を完成させ、東北で3番目という近代水道実現につながる大きな力になったのでした。多田野水道は、安積疏水の完成とともに20年間でその役割を終えました。
●像は、郡山の水道創設者としての今泉久次郎の功績を長く伝えようと、昭和58年に青年会議所が建立しました。胸像の制作は郡山出身の彫刻家、佐藤静司です。


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